第64回
2019/10/6
「自我同一性 10章 人格発達の基礎」
【まとめ】
自我同一性について。青年期には、本当の自分とはいったい何だろう、という疑問が生じ、自分というものを再度見つめ直す作業が行われる。青年期の子供達はしばしば反抗的だと言われるが、他人によって形作られたのではない、本来の自分を求めようとしているからだと考えられる。
私達は自分のアイデンティティを確立するときに、社会的に価値あるものを取り込もうとする。職業や人生観や生き方など、社会的に何か求められるようなものである必要があり、そうすることで自らをそれなりに社会的に価値のある存在だと確信することができる。
否定的同一性について。社会的に認められるような価値を自分が実現することはとうてい不可能だと考え、反社会的な生き方を選び、自らのアイデンティティを確保する場合がある。
総務庁青少年対策本部から出ている資料によると、一般少年と非行により補導された少年たちについて進学希望を比較すると、一般が大学・大学院までの希望が多いのと比較し、非行は中学・高校までの希望が多い。非行少年たちは、少なくとも学校社会での成功については悲観的であることが分かる。
また定点観測した資料によると、一般と非行の成績評価(自己)は、最初は近くても次第に差が開くことが分かる。社会的価値が学校に反映しているとすれば、その価値を実現できるという認識が低いことが非行少年を特徴づけている。
【所感】
非行少年少女についての話が印象的でした。なぜ非行に走るのか、は単なる衝動というより否定的同一性に起因する可能性があるというのは頷けるものです。自らのアイデンティが社会的に価値あるものとは逆の方向にいく。つまり非行は社会的に価値あるものを自分は実現できないという諦念からくるものと考えられます。
ここで思い出すのは、清瀬市教育長である坂田先生が音楽の教員だった頃のお話です。荒れていた学校で、所謂不良的な中学生を「承認する」ことで彼ら彼女らの心の障壁をとかし、彼ら彼女らは音楽の部活動に没頭し、生活をあらためるまでに導かれました。
まさに勉強ができるというのは一つの価値でしかありません。スポーツができる、気遣いができる、掃除を一生懸命する等々、他にも学校には沢山の社会的に認められる価値があります。大人が諦めることなく、その価値を自分でも持っていて、実現できることを子供達に認知してもらうことが、非行を防ぐ効果的な方法であると感じました。
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