第169週
2020/11/15
『訳注 二宮先生語録(下)・報徳外記」
斎藤 高行原著 佐々井典比古訳注
3年半前、自分が心から尊敬する方に毎日触れることを決めました。その日から二宮尊徳先生の著書、関連書籍を毎日少しづつ読んでいます。今回の語録は、折り目を付けた箇所42.そこから11に絞り、更に日々に落とし込み、忘れないよう3つまで絞りました。
[297]己に克って礼に復る
「孔子は、『己に克って礼に復(かえ)れば、天下人仁に帰す。』(論語、顔淵篇)と言った。
(中略)これを開墾にたとえると、「己に克つ」とは、荒地をひらくことである。『礼に復る』とは種をまくことである。「天下」とは広く言っただけのことで、あらゆる荒地と言うのと同様である。「仁に帰す」とは、あたり一面よくみのって穀物となることを言うのである。(後略)」
尊徳先生は「たとえ」が上手く、聖人や賢人が残した書物や言葉を、よく農業や動植物、日常生活にたとえています。これでもか、というぐらい「たとえ」が出てくるのは、本質を理解し、人に分かりやすく伝えるためでしょう。考の巨人というぐらい、日々考えに考えていたのと敬服します。
このたとえを参考に、克己復礼を私共のプログラム提供におきかえると、「己に克つ」とは、意欲の低い受講者にも寄り添うこと。「礼に復る」とは感情的にならず最善法を提示すること。「天下は」あらゆる大人、子供のこと。「仁に帰す」とは、自分の道を自分で拓けるようになる、ことでしょう。
[416]報徳は人道の極致
「人が世の中に生きてゆけるのは、すべて天・地・人の三つの才(はたらき)の徳によるものだ。だからその徳に報いることが、人道の極致であり、わが法の本源である。(中略)人もまた、徳に報いる心がなければ、終生安息することができない。(後略)」
私の解釈だと、感謝と貢献の二つがあると、幸福度の極致、終生の安息にものすごく近づける感覚です。学習塾を譲渡後、仕事以外の時間は趣味等に使い、奉仕的な活動をしなくなっていましたが、どうもしっくりこない日々でした。軽い空虚感というか。そして、自分の時間をもっと世のため人のために使いたい、という貢献欲が心から湧きあがり、NPOを再開することにしました。他者幸福と自己幸福は一致すると強く思います。
第十九章 教化(上)
貧困怠惰な農村があったとして、役人がどのように精勤へと導けばよいかを尊徳先生が語った章です。その秘訣を一言で表したのが「鶏晨回邑(けいしんかいゆう)」です。晨は朝早く、邑は村という意味であり、鶏が鳴く早朝に毎日村を見て回ることを指しています。しかもこれは「寒暑・雨雪にかかわらず一朝も怠らない」ことを含んでいます。
鶏晨回邑すると、徐々に村人が回村に気づき、そのうち寒暑問わず役人が回村する理由が、「我々に家を保たせようとするのである。」ことに気づくと仰っています。
やはり率先垂範。人心を動かし、大きな流れをつくるためにも、率先垂範が一番だとあらためて思いました。
(1192字)