宗興の本棚

第206週『君の膵臓をたべたい』

第206週
2021/9/25
『君の膵臓をたべたい』
住野よる著 双葉社

ビジネス書ばかり読んでいると飽きてきます。何か心に潤いが欲しくなり、以前から気になるタイトルで、また丁度妻や娘が読了したこともあり読んでみました。

ネタバレになるので、本の内容についてはあまり言及しません。今回は「小説なるものの読み方」に大きな気づきがあり、それについて書きます。

結論から言うと、『君すい』はあまり心が動きませんでした。主人公とヒロインの小気味よいやり取りが面白くて、何度もわっはっはと笑いが出ました。一方で、感動や感涙的なものはありませんでした。

読了後「うーん、なんか、あまり・・・」と妻、娘に感想を共有したら、中1の娘に「パパはだめ!」と両断されました。妻や娘は大泣きしたそうで、また娘は何度も読み返しているとのこと。人の感じ方なんだから「だめ!」と言われる筋合いはない的に軽く反論しましたが、ふと読み方に違いがあるなと気づきました。

そもそも本というものは、仕事や生活に活かしてナンボだと考えています。いわゆるビジネス本ばかり読んできたからそう考えているのでしょう。

活かすことに価値を見出すという点で最重要なことは「発見」です。つまり『君すい』は私にとって「発見がなかった」のですね。似たようなシチュエーションはどこかで見たことがあり、結末も「うん、そう人間ってこうなるよね」という私にとっては想像できる範囲の自然な人間の行為でした。

同じ小説でも谷崎潤一郎の『春琴抄』が面白かったのは、「へえ~人間こんなすごいことまでできるものなんだ、すごいっ!」という、自分が考えている「人間」の枠を払ってくれるものだったからと感じます。

折角なので小説というものを味わい楽しめるような読み方をしたいと考え、小説の楽しみ方なるものを調べてみましたが、いまいちピンときません。「登場人物になりきってみる」という妻の意見が一番しっくりきたので、まずはそこからはじめてみたいと思います<笑>。
<794字>

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