宗興の本棚

第47週『二宮翁夜話』

第47週
2018/6/23
『二宮翁夜話』
福住正兄著 児玉幸多訳

私の師である二宮尊徳翁が話した教訓を集めたものです。報徳思想を体にしみ込ませたく、3ヶ月ぐらいかけて毎日少しづつ読み進めていきました。特に私が気に入っている教訓を5つ上げます。

六 人道と天道の別
天理と人道は全く別のものである。天理は畜生の道と一緒で、食物があればあきるまで食べつくす。天理自然に任せるのは情欲のままと同じ。人道とは私欲の制することを道とする。己という私欲に克つことである。
→すべての出発点であり終着点はこの克己であることをあらためて思います。私欲を制するというより包み込んで徳へと昇華させ、自分にとって天理自然のものでいられるのが理想です。

二十七 善悪同服
尊徳翁は禍福は二つあるわけではなく、元来一つのものだ。例えば庖丁で茄子を切るときは福であるが、指を切るなら禍となる。水も一緒。畔(あぜ)を立てて引けば田地を肥やして福となり、畔がなくて引けば肥えた土が流れて田地が痩せ、禍となる。己のためにするときは禍がそれにしたがい、世のためにするときは福がこれにしたがう。財宝もまた同じで蓄えて施せば福となり、蓄えて出さなければ禍となる。
→善悪はあくまで人の見方であり根源は全て一緒という尊徳翁の一円思想につながる話です。対話を通して互いに分かりあうことの重要性に気づかされます。もう少し誠とも対話をすれば良かったかなと。

八十六 富貴天に有りの弁
世に用いられようとして、立身出世を願うときは、本当の意味を誤り、一番大切なものを失うことになる。道を学んで習得し、みずからよく勤めれば、富貴は天からくる。自分の行為が天理にかなうときには求めなくても富貴がくる。
→自利=エゴにそって行動するときは上手くいかず、他者のためと動いたことは上手くいく。これが私の人生原理かなと考えています。子供達のライフスキルをいかに伸ばすか。この一点を追求するのみです。

百六十五 分度の論
翁の富国・安民の方法は分度を定めるという一点にある。財産のあるものは、一年の衣食がこれで足りるというところを決めて分度として、多少に関わらず分度外を世のために譲って何年も積んでいくならば、その功績は量り知れない。
→今年自身の稼ぎの分度を定めました。分度を定めた途端、今の自分の「分」を認識し、無駄遣いはもとより奢侈に流されなくなりました。具体的には、本当に必要なものや欲しいと思うものしか買わなくなりました。加えて、もっと稼ぎたいという欲に囚われることなく、精神的に落ち着いた状態となりました。分度を定めることは逆に人生に潤いが出ます。

続編五 譲道
勤倹を守るのはあくまで貧せずということで、譲ではない。財産を殖やすばかりで天命のあることも知らず、道に志さず、自分一身のことだけに費やすものはいうに足りない小人で、その人の心は物を奪いとるということにある。国民を助けてこそ譲道を行うというべきだ。
→「勤倹譲」という報徳仕法の中で一番難しいのが譲と感じます。勤は元々やってきました。これまで薄かった倹は、今回分度を決めて律することで、できはじめています。最終的に譲のバーが高く、中々勇気がいることですが、これもおそらく実現できると思います。まずは毎月一定額の寄付は行う所からはじめていますし、分度外に関しては同志の物心の追求を先に置くこともしていきます。
(1355字)

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