宗興の本棚

第103週『学校の「当たり前」をやめた』

第103週
2019/7/21
『学校の「当たり前」をやめた』
工藤勇一著 時事通信社

工藤先生とは2016年NPO設立時に、ご紹介でお会いしました。その際の印象は、起業家。学校の先生ではない、という感覚でした。目的に立脚した合理的な考え、スピーディーかつ大胆な行動力、何よりビジョン実現への強い意志とあふれ出る自信。しかもイケメン。絵になるカッコよさを感じました。この時は既にスキームが決まっていて私達が提供する余地はなかったのですが、とても印象深い出会いでした。

本書を読んであらためて二つのことが強く残っています。

一つは、徹底した目的立脚です。工藤先生は、服装指導、定期考査、クラス担任等、「慣例」で行っていることが多い学校教育の一つ一つを、目的と手段の観点で検証し見直されました。麹町中の目的は「社会の中でよりよく生きていけるようにする」。そのために3つのコンピテンシーを設定しています。言葉や情報を使いこなす能力、自分をコントロールする能力、多様な集団の中で協働できる能力です。この目的に照らして、手段として教育施策が行われています。この目的立脚の徹底力が素晴らしく、大変勉強になります。工藤先生は学校に通学することも一つの手段に過ぎないと言い切っている程です。

もう一つは、対話を多用している点です。『大きな対立があっても、上位目的を見据えて対話を図れば、必ず合意形成に至ります。』と書かれています。改革に反対がつきものですが、対話を用い抑え込むようなやり方はとってこなかった結果、このような改革が実現できたと感じます。

日本初の民間校長として改革を進めた藤原先生が和田中に赴任されたのは2003年。そこから、10年以上が経ち、公教育の教員の中から工藤先生のような改革者が現れたことを嬉しく思います。民間校長より、他の先生方が「自分達でもできる」という当事者意識を持ちやすいからです。工藤先生のような方が次々と表れることを期待しつつ、私達もより貢献できるよう技術を磨いていきます。
(799字)

週の風景

017 学校はありがたい

今日はプライベートのことです。

先週の火曜日、やむを得ない事情から小2の息子を学校を休ませることにしました。いわゆる謹慎に近いもの。その日は仕事を含め両親が外出しているため、一人でずっと家にいることになりました。

吉田家はテレビはない(正確にいうと見ない)ため、息子は誰とも一言も話さず、本を読むか、一人将棋をするか、一人でレゴするか等していたそうです。

このまま学校に通わせることができないとどうなるか・・・想像をしてみました。

・他者接点が乏しく刺激がない
・音楽&図工をはじめとした実技ができない
・運動会の準備など学校行事に関係する活動がない

勉強は親が教えればよいのですが、それ以外のものは家庭でカバーするのが苦しいです。そもそも刺激がなく、子供から生きる活力を奪っていく感じがし、私自身とても心苦しくなりました(息子は普段活発なのでなおさら)。

当たり前に通わせている学校が、子供にとっても親にとってもこんなにもありがたいものだったのかと、痛感する1日になりました。

翌日から登校許可をし、息子は楽しそうに学校に行きました。

家庭は私自身と一心同体であり、家庭に問題が発生すると、鈍く重い感覚がつきまとい、心身に堪えることもよく分かりました。
(逆に仕事が救いになる的な)

学校というこの社会システムは本当にありがたいです。このありがたく素晴らしい日常が続くよう、パパもしっかりと子供と向き合っていきます。

★お知らせ
9/21(土)PEACE DAY2019開催!@海浜幕張

「Believe in Peace with Love」をコンセプトとして、世代、立場、すべてのジャンルを超えて楽しめる野外フェス「PEACE DAY19」が開催されます。ブルームウィルは特別会員になっており、30枚チケットがあるので、チケットが欲しい方は是非お声がけください(当日券6000円を無料でお渡し致します)。東京在住の方は少し距離がありますが、世界平和に少しでも関心がある方は是非!

URL:https://peaceday.jp/2019/

【一般財団法人PEACE DAYとは(HPより)】
一般財団法人PEACE DAY(以下、PEACE DAY財団)は「争いのない平和な世界を実現する」というビジョンを掲げ、2019年6月に設立されました。野外フェスという場を通して立場の異なる組織や個人が壁を超えて協働し、平和の実現を目指していく仕組みを創ることで、世界平和を実現したいと思っています。

代表理事として株式会社LIFULL代表取締役の井上高志、他にも様々な立場やジャンルの理事たちがそれぞれの想いをもって集まりました。また、野外フェスの企画/運営/制作チームは、野外フェス「旅祭」を主催/運営している株式会社TABIPPOと株式会社A-Worksが担当しています。

教育心理の部屋

第59回「知能の発達② 9章 知的発達のメカニズム」

第59回
2019/7/15
「知能の発達② 9章 知的発達のメカニズム」

【まとめ】
ピアジェは4つの発達段階を示した。
0~2歳 感覚運動期
2~7歳 前操作期
7~11歳 具体的操作期
11歳~成人 形式的操作期

2歳から7歳までを、ピアジェは前操作期と呼び、「自己中心性」という概念で特徴づけている。

ピアジェの3つ山問題。
高さと色の違う3つの山を重なって並べ、東西南北の位置に眼鼻のない人形を置く。それぞれの位置で人形から山の見え方はどうなるか、という問題を子供に行ったところ、子供の見方がいくつかの段階に区別できることが分かった。
最初は、自分が見ている風景と似た絵を選ぶ。次に、部分的に山と山との重なりぐあいなどを考慮する。次第に複数の関係を同時に考慮し、適切な絵が選べるようになる。初期の子供の特性を「自己中心性」とピアジェは呼んだ。

7歳から11歳を具体的操作期と呼び、他者の視点を獲得できるとした。前操作期には、底面積の広いビーカーに入ったジュースを細長い容器に移し替え、どちらの量が多いかと問うと、背が高い後者の方を選ぶ子供が多い。これが具体的操作期になると、形が異なっても量が保存されると子供は答えるようになる。

12歳以降を形式的操作期といい、抽象的な思考が可能になる。見た目の具体的なものだけでなく、例えば「密度」のような抽象的概念も扱えるようになる。

私達大人があたりまえと考えていることも、長い発達の過程を通して獲得されることをピアジェは示した。ピアジェは、発達段階を区別し、例えば前操作期の子供に訓練を行うことの効果には否定的だった。しかし、その後の研究は訓練や教育がある程度効果をもつことを示している。

【所感】
ピアジェの「認知発達理論」はなるほど、と頷けるものですが、これを教育にどう生かすのかという点は本書に詳説されていません。ネットで探してみたのですが、教育法として良質な情報は得られませんでした。『ピアジェの理論は科学的な裏付けがあるのですが、(実際に何をさせるか、という)教育システムとして実用的でないという部分がネックでした。』と書いてあるサイトもあり、実用が難しいようです。ただ、以前出てきたレディネスという考え方は、ここでもやはり重要と感じます。無理に早期教育をし発達を促進するより、自然と子供の発達を待つという感覚が健全な子供の成長には有益なのではないでしょうか。
(959字)

宗興の本棚

第102週『勉強するのは何のため?』

第102週
2019/7/15
『勉強するのは何のため?』
苫野一徳著 日本評論社

4月から咲心舎のビジョンセッション吉田パートで「なぜ勉強するのか」を題材に塾生と対話しています。この問いの私なりの解に哲学的深みを持たせるため、前回公教育の本で出会った苫野さんの哲学思考が興味深かったことから本書を手に取りました。

二つ程、印象深かったことを伝えます。

まず、苫野さんは「勉強を何のためにするのか?」には唯一絶対の正解はなく、納得解を出すものであり、考えるべきは自分にとっての正解であると主張しています。また、苫野さんは、納得解を出すには「問いの立て方を変える」ことが有効であり、「なんで勉強が必要なのか?」ではなく「自分はどういう時に勉強する意味を感じられるのか?」と問う。その答えを見つけたら自分なりの解をみつけて条件を整えればよい、と言っています。

これはビジョンセッション内で活用できるとても実効的な考え方と感じました。まず、ぱっと浮かんだ言葉が「自分解」です。「個人解」でも良いかもしれません。万人に当てはまる一般解ではなく、今の自分にとっての答えです。この「自分解」という言葉を用い塾内で共通言語化しながら、「勉強に意味があると思えるとき」を出し、理由を考えてもらう。出てきたものを自分のノウハウとして頻繁に使うことを推奨するようなセッションを行ってみます。

次に、「自己不十全感」という新しい言葉との出会いです。人は自由への欲求があるゆえ抱く感情であり、自分に対する不満のことを指します。苫野さんはいじめが発生する理由の一つにこの「自己不十全感」を挙げています。そして自己不十全感を克服するには「承認」と「信頼」が必要と主張しています。

これは教育界ではよく挙がるキーワードであり、正直「またこれか」と思う面もあります。しかし、哲学者の苫野さんならではの説得力を感じると共に、実行することの難しさも感じます。咲心舎を更に承認と信頼が溢れる場にしていきたいとあらためて思いました。
(799字)

週の風景

016 1学期VS終了!

今日はNPOライフスのネタです。

7/2(火)に清瀬二中VS(ビジョンセッション)の3回目がありました。

テーマは、「インタビューをしてみよう」。

「ビジョン(夢や目標)をはっきりさせる、またビジョンを想いのこもったものにしていくには、自分を知ると共に、社会(=世の中)を知ることも大切です。社会を知る方法は様々あります。  教科書、新聞、TV、雑誌、インターネット、書籍といったモノから知る方法もありますが、様々な人に会い、話を聴いて知る方法もあります。人から聴くと、とてもリアルで社会の理解が進むものです。」

というインストから始まり、まずは先生にインタビューをします。
そして、自身のビジョンに関わる人で「会ってみたい!」と思う大人を考え、夏休み中にアタックしようという内容です。

先生方にはまたもや独自の工夫をして頂いて、例えばマイクを2本準備して実際のインタビューのようにし盛り上げた先生もいるなど。
ありがたいです。

一方、中々対話が進まない生徒もいます。しかし、この今回のテーマインタビューとなると・・・ワークしていました!

自分の事を考える(価値観など)→難しい
自分の将来を考える→もっと難しい
他の人と対話をする→もっと×2難しい

という感じでなんですね。「動き」をいれないとダメ。正解のないものをじっと考えるのは難しいものです。もっと私達のプログラムの工夫が必要です。石川、高橋と共に引き続き、知恵を出していきます。

これで1学期は全て終わり、次回は9月の4回目、そして5回目以降の教材をこの2ヶ月で創ります(これが吐きそうになるぐらいいつも大変なんです)。
そして、今週も研修WEEKは続きます。走ります。

写真は、先生方の板書など。独自のやり方でVSを創って頂いています。

宗興の本棚

第101週『茶の本』

第101週
2019/7/7
『茶の本』
岡倉天心著 大久保喬樹訳 角川ソフィア文庫

日本の文化と歴史の見識を深める第四弾となります。日経アソシエでは『武士道』がオンの日本人像であれば、『茶の本』はオフの日本人像を表したものと紹介されています。

全体としては東洋思想礼賛的なトーンであり、中国発祥の茶が欧米の日常にまで根付いているにも関わらず、東洋は歩み寄っているが、西洋の歩みはまだ足りず、更に歩み寄る必要があると天心は訴えています。表現としては『茶にはワインのような傲慢さも、コーヒーのような自意識を、ココアのような間の抜けた幼稚さもない。』のような、詩的で独特な言い回し、断定的な論調が続いていきます。

強く感じたことを一つ挙げると、茶を文化とする私達日本人の底流には、全ては一体であるという思想があるということです。本書では、『不二一元思想(Advaitism)』という言葉が出てきます。全ての存在は、外見が異なれども本質においてはひとつであるという古代インドの思想です。これは梵我一如を更に鋭くした感じの思想です。

天心は『茶は道教を根底とする』と言っています。世の中のありのままを受け入れ、調和を考えていく道教は、『なげかわしいこの世の暮らしのうちにも美を見出そうとする』ものです。変化をする世の中に、対応するしなやかさ。日常の些細なことに喜びを感じ取る感性が私達日本人の中にはあるのだと思い、何だか嬉しくなります。そして、自分の心のまま、心の声に従っていきることが最も大切な自然な道であり、茶はその心の声を感じやすくするものではないかと感じました。私の朝は自宅で紅茶、オフィスでコーヒーから始まるのですが、どこかで日本茶を取り入れるのも面白そうです。

茶道にも興味を持ちました。本書を通して、きっと茶道や日本自体に興味をもった欧米人も多かったのではないでしょうか。
(742字)

週の風景

015 熱、熱、熱の週

先週を一言で表すなら「熱」でしょうか。

まず、新しい企業様で、執行役員層に対するリーダーシップ研修が始まりました。ほぼ毎月のペースで実施し約1年かけて、自分で道を拓ける人へと導きます。この層になると呑み込みが早く、しかも動機付けをして頂いたおかげで全体的に意欲が高く、どんどん私が引き出されていく場に。熱があるだけでなく「楽しさ」を感じる初回になりました。

また、別日にはクライアントである通信会社様内の販売コンテストがあり、審査員をお任せ頂きました。本選参加者の本気度は高くここも大変な熱のある場になりました。磨き上げられた話芸は皆様素晴らしく、グランプリをとった若干18歳の新卒の方のプレゼンは感動で震えがきたほどです。

金曜日は、前回も書かせて頂いた企業様のサーベイ研修最終回もありました。「皆様、今燃えていますか?」と変わらぬ問いかけと共に、アウトサイドイン(やらなきゃ)ではなく、インサイドアウト(やりたい)の大切さをもう一度伝える場に。私の熱が参加者の皆様に伝播していれば嬉しいです。

そして、学習塾咲心舎は、1学期の期末テスト真っ盛り。西池袋中を除く、千川中、明豊中、板二中と周辺の全公立中のテストがこの週に集まりました。試験前の塾生達の真剣なまなざし、姿勢により形成された少しピリッとした空間が好きなんですよね。ビジョン実現シートという、自分の立てた目標とTODOを書いたシートをもとに、塾生は自分と向き合っています。ここにも大きな熱がありました。早めの志望校設定や、ビジョンの明確化など、この3ヶ月高橋を中心に熱をもって取り組んできました。結果として反映されると思います。

熱、熱、また熱の週でした。

今週は清瀬のビジョンセッション第3回や、引き続き企業研修も行います。一旦7末まで、まだまだ走ります!

※写真は中学生クラスの塾生「ビジョン実現シート」です。

教育心理の部屋

第58回「知能の発達① 9章 知的発達のメカニズム」

第58回
2019/6/30
「知能の発達 9章 知的発達のメカニズム」

【まとめ】
人間の知的能力はどのように発達するのか。人間の知的発達の理論としてとりわけ大きな影響を与えたピアジェの考え方を紹介する。

赤ちゃんがおっぱいを吸う行動。最初は難しいが、次第に吸えるようになる。吸うという行動はこういうものだと自分なりの構造をもっており、これを「図式」と呼ぶ。

この「図式」を環境にあわせて少しづつ変えることを「調整」と呼ぶ。

また、吸うことはおっぱいだけでなく、他にも吸う行動が組み込まれていき、これを「同化」と呼ぶ。

ピアジェの考え方によると、発達とは同化と調整による図式の変化だと考えることができる。

ピアジェは4つの発達段階を示した。
0~2歳 感覚運動期
2~7歳 前操作期
7~11歳 具体的操作期
11歳~成人 形式的操作期

【所感】
いよいよ、発達理論の大家ジャン・ピアジェ(スイス)の章に入りました。発達とは「同化と調整による図式の変化」という論は、ぐっと核心に迫る感覚です。「図式」というのは、物の捉え方、つまり認識のことと私は解釈しました。

少し話は飛びますが、私は「世界観」とは何かをずっと探求しています。世界観とは、この世界の意味付けを表すものであり、例えば、Wikipediaによると『「この世界は私にとってどんな意味があるのか」「この世界で私はどのような役割を果たしてゆくことが期待されているのか」「世界の中で人間はいかなる役割を果たせば意味があるのか」などの問いに答えようとするものである。』となっています。

ピアジェの理論でいうと、世界観とはその人がもつ世界(この世)の図式でしょうか。子供が世界に対してどのような図式を形成していくかは、同化と調整を繰り返す前提でいえばやはり環境の影響が大きいのだと思います。そして最大の影響力者は当然、親。例えば、この世界は素敵だ、喜びに満ち溢れている、と心底思う親の元であれば、同化と調整により似たような世界観をもった大人ができる可能性は高まるのでしょう。

一方で、希望の薄い世界観をもつ親など、多様な世界観があるのも実情です。公教育の役目として、どのような親の元でも、子供が健全な世界観を育める役目があるかもしれないと、あらためて思いました。
(906字)

宗興の本棚

第100週『公教育をイチから考えよう』

第100週
2019/6/30
『公教育をイチから考えよう』
リヒテルズ直子・苫野一徳著 日本評論社

LIFULL社の浜岡さんから紹介頂いた本。公教育は何のためにあるのか、という問いの答えを洗練化する目的で読みました。オランダを中心に海外の教育に詳しいリヒテルズさんと、教育哲学者の苫野一徳さんの共著であり、それぞれの教育論や対談を載せ、公教育の本質に迫っています。

一番大きな収穫は「公教育はなんのためにあるのか」について、より深化した知見をえられたことです。苫野さんは公教育の目的は「自由の相互承認の実質化」であると仰っています。論旨としては、以下になります。

①人には欲望・関心相関性の原理があり、個々の欲望や関心に応じてその意味や価値を表す。個性を生かす教育を好む人もいれば、一斉授業を好む人もいる、絶対に「正しい」「よい」教育は存在せず、欲望・関心から生まれる信念が違うから対立が起こる。

②その上で、「人間的欲望の本質は自由である」とヘーゲルは打ち出した。人間誰しも生きたいように生きたい、自由に生きたいという欲望をもっている。お互いに自由な存在であることを認め合い、そのことをルール(法)として定める。これだけが人類が自由かつ平和に共生できる道である。これを「自由の相互承認」の原理という。

③この原理に基づいた社会を創るには「法・教育・福祉」が必要である。その文脈の教育の目的は、誰しもが自由の相互承認の感度を育み、この社会を自由にいけるために教養=力能を一定以上獲得することとなる。つまり「自由の相互承認の原理」を実質化することに他ならない。

私は、公教育は「誰もがその社会に必要な資質・能力を育む」ことを目的としている、とおいており、各国の社会を前提に考えていました。苫野さんが提示した原理は、更に抽象度を上げ(本質にふみこみ)、人類全体の普遍的な公教育の目的と言えるものだと感じます。日本は明治期に公教育を導入した背景から、「公」に奉仕するための公教育というイメージが強いですが、完全に転倒した考え方と苫野さんは批判しています。

そして、私達が咲心舎や清瀬第二中で行っているビジョンセッションが「自由の相互承認」の原理を実質化するものと感じ、背中を押された気がします。自由であるために、自ら考える力と、互いに自由を認める感度が必要であると苫野さんは仰っていますが、ビジョンセッションはまさに「みんな違ってみんないい」ということを理念にダイアログをするものです。実際の現場では、様々な困難が立ちはだかりますが、一つ一つ克服していきます。
(1021字)

週の風景

014 ありがたい本当に

先週は、あるIT系企業様の研修ウィークで、印象深い週となりました。

この企業様では2015年10月から本部長、次世代マネージャーの教育と3年半継続してプログラムを実施させて頂き、また受講された方と毎年サーベイを使った振り返り研修で会います。

火曜日の昼は、新社長が参加する執行役員(本部長が皆昇格)との振り返りを実施し、夜は前社長と、つないで頂いた恩義ある別の経営者様と3人で送別会を行いました。バトンを渡す方とバトンを受ける方と意図せず同じ日にじっくり話をすることになったのは、偶然でしょうか。

前社長様は、創業社長からバトンを受け継ぎ、会社を進化させ、経営統合の手段も使い更なる成長の道筋を創った方。既存の枠組みを外し、新しい形へと導くのは、簡単ではありません。壮絶な厳しい場面があったことは容易に想像できます。

育成については、2015年9月に初めてお会いした後、
「本部長、ミドルの強化が経営の最大テーマの一つですから」
と仰って、ご多用にも関わらず、そこから約3年半私共のプログラムの全回にオブザーブ参加頂き、更に人事チームと共に、参加者のフォローを毎月行い続けて頂きました。経営・人事・外部パートナーが一体となり支援することで、マネジメント職の皆様の力が着実に伸びていきました。育成を依頼頂いた身にとっては本当にありがたい環境でした。

そして、個人的には2016年4月本部長研修が終わった後、
「私がこれまで経験したプログラムの中で 最高にクオリティが高く、かつ、当社の現状に最適であると感じました。」
とメールで仰って頂いた事が、私にとって大きな励みとなりました。

自分が信じて世に出したものでも、「本当に受け入れられるのか」という不安を実は抱えています。そのような中、この道で良いのだと、勇気を頂いた瞬間でした。

「何をやるか」は大切ですが、「誰とやるか」もやはり大切です。

「新しい産業を創りたい。」
前社長が語っていた人生テーマです。

こういったご縁のありがたさを感じつつ、私も負けずに、この企業様ひいては社会により一人でも多く自分の道を自分で拓ける人を創ります。