宗興の本棚

第108週『大学』

第108週
2019/9/1
『大学』
宇野哲人全訳注 講談社学術文庫

私が私淑する人物は二宮尊徳翁です。尊徳翁の生き方に少しでも近づきたいと、報徳記をはじめ毎日触れています。その尊徳翁が幼少期、薪採りの往復時に読誦したと言われるのがこの『大学』です。尊徳翁の思想・行動の深奥をより理解をしたいと考え、本書を手にしました。

本書は儒教の政治思想の根幹を簡潔にまとめた書です。ただ為政者の心構えに止まらずむしろ人としてのあるべき心構えを述べている私は感じました。以下に印象深い章を4つ列記します。

『大学の道は明徳を明らかにするに在り、民を親たにするに在り、至善に止まるに在り。』(経一章)

『大学』の三綱領は、明徳・親民・止至善です。明徳は人が生来もっている立派な本性を指しており、外物に接して私欲の念が起こるが故に、明徳を取り戻す必要があると解釈できます。性善説的な考えに光が見えます。

『物格って后知至る。知至って后意誠なり。意誠にして后心正し。心正しくして后身修まる。身修まって后家斉う。家斉いて后国治まる。国治まって后天下平らかなり。』(経一章)

これは『大学』の八条目を表している文で、格物→到知→誠意→正心→修身→斉家→治国→平天下となっています。そして明徳は格物から修身までを行うことにより、実現するという位置づけになっています。格物到知という真理の探究がスタートになり、結局国を治めるにも一人の人間の探求(謙虚さ)と誠意から始まることが印象的です。

『所謂その意を誠にすとは、自ら欺くなきなり。』(伝六章)

誠実であるためには、自らをごまかし、本心を欺いてはいけない。しかもそれが分かるのは自分のみであり慎独せよという言葉です。ブルームウィルの社是「まっとうに誠実に」を追求していくのに身に沁みました。

『所謂国を治るには必ず先ずその家を斉うとは、その家教うべきからずして、能く人を教しうる者はこれ無し。故に君子は家を出でずして、教えを国に成す。』(伝九章)

自分の家さえ教えることができないのに、国を治めることはできない。身を修め家を教えることができれば自然に一国の模範となり国民が皆その徳に感化されるということです。社会を良くする前に、自分とその家族を良くしていく、というのも身に沁みます。何が起こってもまずは自分と家族と向き合うことです。
(935字)

宗興の本棚

第107週『なぜ人と組織は変われないのか』

第107週
2019/8/25
『なぜ人と組織は変われないのか』
ロバート・キーガン リサ・ラスコウ・レイヒー著 池村千秋訳 英知出版

成人発達理論のキーガン教授の約400Pに渡る著書。キーガン教授の成人発達理論は私達の人材開発法の土台となるものであり、より深い知見を得るべく手に取りました。

なぜ人と組織は変われないのか。答えは変化を拒む「免疫システム」があるからです。この「免疫システム」と処方箋となる「免疫マップ」が本書の核であり、実例に沿って説明がされていきます。

まず、人の成長には二つの課題があるということです。技術型の課題と適応型の課題です。減量に対して、食事制限という技術的な方法で解決できる人もいますが、多くの人がその後リバウンドします。それは、ほとんどの人にとって減量は技術的な課題ではなく、適応を要する課題であることの証左です。この適応型の課題に「免疫システム」が付帯しています。

本書にあるピーター・ドノバンという金融サービス会社CEO(50歳代)の実例がとても分かりやすく、「免疫システム」を理解するのに非常に役立ちました。ピーターは、拡大していく組織の規模に合わせ分権型のリーダーになることが課題ですが、権限移譲をはじめ中々それができない状況でした。

1.改善目標
新しい考えをもっと受け入れられるようになる。役割や責任の変化に柔軟に対応できるようになる。積極的に権限移譲を行う。

2.阻害行動(改善目標を妨げる要因)
新しい考えに問答無用に却下する。他人の考えを知ろうとしない。相手にうかがいをたてさせざるをえない話し方をする。相手がのぞんでいるかわからないのに、すぐに自分の意見を言う。

3.裏の目標
私のやり方でやりたい。自分がものごとに直接影響を及ぼしていると実感したい。あらゆるものに自分の「指紋」をつけたい。最強の問題解決者でいたい。

4.強力な固定観念
自分が替えの効く存在という不安。

人は自分を変えたいと思っているが、自分の核となる部分を守りたいという思いを抱いています。この不安管理システムが変革を阻む免疫機能の正体と本書は言っています。そして、この不安管理システムを生じさせるのが3と4だと解釈できます。特に4の「強力な固定観念」は、幼少期の経験や仕事を通した成功体験で形成されることも多いと思います。

それでは、実際に人や組織を変えるにはどうするか。本書ではあるチーム全員が「免疫マップ」を作成し、しかもこれを全員で見せ合い、行動と検証を皆で繰り返していくことで変革していった例を挙げています。その人にとって一番大切な取り組むべきこと「One Big Thing」を皆で共有し合うなど、非常に有効なアプローチと感じます。

通常学術書は3ヶ月ぐらいかかるところを、本書は面白くて1.5ヶ月ぐらいで読了しました。私自身も適応課題を抱えています。愛と感謝と喜びに満ちた世界へ。まず自分も「免疫マップ」の作成をしてみます。
(1150字)

宗興の本棚

第106週『いきの構造』

第106週
2019/8/20
『いきの構造』
九鬼周造著 角川ソフィア文庫

日本の文化・歴史の見識を深める書籍の五冊目。本書は『現代の「おしゃれ」「クール」のルーツといえる江戸好みの美意識「いき」』を多面的に分析し、日本人固有の感覚を分かりやすく顕出させた良書と感じます。

筆者が述べる「いき」の三要素について、恋愛におきかえて考えていきます。第一の要素の媚態は、『「異性との不安定な、緊張した関係」をもちこむことである』とあります。異性との関係が「いき」の根本要素となっており、「いきごと」は「いろごと」を意味するそうです。男女が出会い、関係が濃くなる途上で成就するかどうかの不安定な状態。そこから生まれる「ドキドキ」感を求める態度が媚態と解釈できます。そしてこの媚態は、つかず、離れずを維持するという厄介で繊細なものでもあります。

第二の要素の意気は、意気地のことで、『下等な私娼や相手かまわず身を安売りする芸妓を卑しむ凜とした意気』とあり、武士道的な誇り高い姿勢を表しているそうです。不安定な状態ながら、決して自分からは告白しない感覚でしょうか。

第三の要素の諦めは、『運命に対する「諦め」と、その「諦め」に基づく淡々とした境地とが含まれていることは否定できない事実である。』とあります。別れたとしても、鬱々とせず割り切って次に進む感覚でしょうか。無常観を感じます。

著者の凄さは、分析・表現力にあります。例えば、「いき」と関連諸概念の体系として、渋味・野暮・上品・下品など8つの言葉を頂点とした六面体を描き、さび・きざ・雅などの言葉と比較し「いき」がどの面に位置するかを明示しています。また「いき」な身体的表現(言葉、姿勢、衣装など)や、「いき」な芸術的表現(模様、色、建築、音楽など)を明示していますが嘆息ものです。

最近は「いきだね」「いきな人」という言葉は耳にしません。それでも私達の中に「いき」という日本人固有且つ深遠な感覚が存在しているというのは、何か嬉しいものです。
(800字)

宗興の本棚

第105週『死ぬこと以外かすり傷』

第105週
2019/8/11
『死ぬこと以外かすり傷』
箕輪厚介著 マガジンハウス

麻野君の著書にも出てきて、ラジオでも名を聞いた編集者箕輪氏。刺激的な題名も興味をそそり、搭乗前に手に取りました。

内容は箕輪氏の仕事論です。全体のトーンは、熱く疾走がある本。しかし、爽やかとは程遠いドロドロとした毒気を感じるものです。いわばネパールやベトナムのような発展途上国の土埃が舞う猛暑の中、汗だくで駆け抜ける、そんな本です。刺激があり、心を揺さぶられました。

本書は「情熱の先にある熱狂」の一つに集約されると感じます。

『マスにヒットするコンテンツというのは、突き詰めると特定の誰か一人に鮮烈に突き刺さるものだ。』

『実力がある人間など世の中に掃いて捨てるほどいる。しかし、上位1%の本物の天才以外は換えの効く存在だ。』

『僕より編集という技術が上手い編集者などごまんといるだろう。しかしムーブメントを起こし熱が生むことができる人はほとんどいない。』

(いわゆる成功者を見るとき、間近で見ていていつも思う)『「これだけ血の滲むような圧倒的努力をしていたら、そりゃ成功するに決まっているわ。」と。』

『まずは何かに入れ込め。周りが引くくらい没入して、夢中になって、一点突破で突き抜けろ。』

『努力は夢中に勝てない。』

『目の前の仕事に熱狂し、本なんて書く時間のない人を強引に口説いて本を書かせたい。問われるのはその1冊が誰かの心に深く突き刺さるか。』

私が琴線に触れ、線を引いたこれらの言葉の底流にあるのは「熱狂」です。企業でも咲心舎でも清瀬でも「情熱が大切でその方法がビジョン設定です」と私は伝えていますが、情熱のその先に熱狂があることを本書は教えてくれました。私自身、起業して3年は夢中でした。そこから少し落ち着いた3年を過ごし、ありがたく充実した日々を送れています。ただ、今熱狂に憧れる自分がいます。

これからも自分が停滞した時に読み返し、そうだったそうだったと心を揺さぶり奮起を促す劇薬。そんな本でした。
(800字)

宗興の本棚

第104週『強く、潔く』

第104週
2019/8/4
『強く、潔く』
吉田沙保里著 KADOKAWA

一流の人に触れるというのは、自分の成長で大切にしていることです。今回は一流どころか超一流の人、吉田沙保里さんの著書を手に取りました。

まず、冒頭の「勝つために、強くなるために、いつも意識をしていたのは『心を強くすること』」という言葉が胸を打ちました。心技体の成長を考えるとき、「教育技術の向上」や「体力・健康維持」については継続トレーニングをしてきました。しかし、心の部分のトレーング強度が低かったと感じました。今後「心の強化」を明確な成長テーマとし、トレーニングの強度を高めていきます。

そして「心の強化」のため、自身が行動レベルで取り入れるものは下記になります。

1.無心になって努力すると心が強くなる
これが心を強くするための、一丁目一番地なのでしょう。はじめに目標を定め、やるべきことを定め、数か月、数週間でもとことん無心でやり抜く、その間に心が強くなると吉田さんは言っています。今後2021年の各事業ビジョンの最明確化と共に、2~3ヶ月テーマをより没頭できるものにするため、毎月「目標専心化」の時間を3時間確保します。

5.自信を作るために目標を口に出して退路を断つ
吉田さんはリオ前「4連覇する」と公言し、自分を追い込んで退路を断ったそうです。これは私の敬愛するLIFULLの井上さんも常々実践されていることです。自信があるわけではなく、自信をあえてつくり、自身を鼓舞するために目標を宣言していると吉田さんは言っています。私の場合、都度関係者に伝えてはいましたが、「公言」までは至っておらず、これは甘えです。ビジョンの専心化を行い、できた時点でブログに載せるなど公言します。

この他にも、「試練と向き合い、試練を楽しむ」「大切な人のために勝ちたい、それが力になる」「誰よりも練習したから自信が持てる」など、心に響きすぐに行動変化を決めたものもあります。心のトレーニング、毎日続けていきます。
(793字)

宗興の本棚

第103週『学校の「当たり前」をやめた』

第103週
2019/7/21
『学校の「当たり前」をやめた』
工藤勇一著 時事通信社

工藤先生とは2016年NPO設立時に、ご紹介でお会いしました。その際の印象は、起業家。学校の先生ではない、という感覚でした。目的に立脚した合理的な考え、スピーディーかつ大胆な行動力、何よりビジョン実現への強い意志とあふれ出る自信。しかもイケメン。絵になるカッコよさを感じました。この時は既にスキームが決まっていて私達が提供する余地はなかったのですが、とても印象深い出会いでした。

本書を読んであらためて二つのことが強く残っています。

一つは、徹底した目的立脚です。工藤先生は、服装指導、定期考査、クラス担任等、「慣例」で行っていることが多い学校教育の一つ一つを、目的と手段の観点で検証し見直されました。麹町中の目的は「社会の中でよりよく生きていけるようにする」。そのために3つのコンピテンシーを設定しています。言葉や情報を使いこなす能力、自分をコントロールする能力、多様な集団の中で協働できる能力です。この目的に照らして、手段として教育施策が行われています。この目的立脚の徹底力が素晴らしく、大変勉強になります。工藤先生は学校に通学することも一つの手段に過ぎないと言い切っている程です。

もう一つは、対話を多用している点です。『大きな対立があっても、上位目的を見据えて対話を図れば、必ず合意形成に至ります。』と書かれています。改革に反対がつきものですが、対話を用い抑え込むようなやり方はとってこなかった結果、このような改革が実現できたと感じます。

日本初の民間校長として改革を進めた藤原先生が和田中に赴任されたのは2003年。そこから、10年以上が経ち、公教育の教員の中から工藤先生のような改革者が現れたことを嬉しく思います。民間校長より、他の先生方が「自分達でもできる」という当事者意識を持ちやすいからです。工藤先生のような方が次々と表れることを期待しつつ、私達もより貢献できるよう技術を磨いていきます。
(799字)

宗興の本棚

第102週『勉強するのは何のため?』

第102週
2019/7/15
『勉強するのは何のため?』
苫野一徳著 日本評論社

4月から咲心舎のビジョンセッション吉田パートで「なぜ勉強するのか」を題材に塾生と対話しています。この問いの私なりの解に哲学的深みを持たせるため、前回公教育の本で出会った苫野さんの哲学思考が興味深かったことから本書を手に取りました。

二つ程、印象深かったことを伝えます。

まず、苫野さんは「勉強を何のためにするのか?」には唯一絶対の正解はなく、納得解を出すものであり、考えるべきは自分にとっての正解であると主張しています。また、苫野さんは、納得解を出すには「問いの立て方を変える」ことが有効であり、「なんで勉強が必要なのか?」ではなく「自分はどういう時に勉強する意味を感じられるのか?」と問う。その答えを見つけたら自分なりの解をみつけて条件を整えればよい、と言っています。

これはビジョンセッション内で活用できるとても実効的な考え方と感じました。まず、ぱっと浮かんだ言葉が「自分解」です。「個人解」でも良いかもしれません。万人に当てはまる一般解ではなく、今の自分にとっての答えです。この「自分解」という言葉を用い塾内で共通言語化しながら、「勉強に意味があると思えるとき」を出し、理由を考えてもらう。出てきたものを自分のノウハウとして頻繁に使うことを推奨するようなセッションを行ってみます。

次に、「自己不十全感」という新しい言葉との出会いです。人は自由への欲求があるゆえ抱く感情であり、自分に対する不満のことを指します。苫野さんはいじめが発生する理由の一つにこの「自己不十全感」を挙げています。そして自己不十全感を克服するには「承認」と「信頼」が必要と主張しています。

これは教育界ではよく挙がるキーワードであり、正直「またこれか」と思う面もあります。しかし、哲学者の苫野さんならではの説得力を感じると共に、実行することの難しさも感じます。咲心舎を更に承認と信頼が溢れる場にしていきたいとあらためて思いました。
(799字)

宗興の本棚

第101週『茶の本』

第101週
2019/7/7
『茶の本』
岡倉天心著 大久保喬樹訳 角川ソフィア文庫

日本の文化と歴史の見識を深める第四弾となります。日経アソシエでは『武士道』がオンの日本人像であれば、『茶の本』はオフの日本人像を表したものと紹介されています。

全体としては東洋思想礼賛的なトーンであり、中国発祥の茶が欧米の日常にまで根付いているにも関わらず、東洋は歩み寄っているが、西洋の歩みはまだ足りず、更に歩み寄る必要があると天心は訴えています。表現としては『茶にはワインのような傲慢さも、コーヒーのような自意識を、ココアのような間の抜けた幼稚さもない。』のような、詩的で独特な言い回し、断定的な論調が続いていきます。

強く感じたことを一つ挙げると、茶を文化とする私達日本人の底流には、全ては一体であるという思想があるということです。本書では、『不二一元思想(Advaitism)』という言葉が出てきます。全ての存在は、外見が異なれども本質においてはひとつであるという古代インドの思想です。これは梵我一如を更に鋭くした感じの思想です。

天心は『茶は道教を根底とする』と言っています。世の中のありのままを受け入れ、調和を考えていく道教は、『なげかわしいこの世の暮らしのうちにも美を見出そうとする』ものです。変化をする世の中に、対応するしなやかさ。日常の些細なことに喜びを感じ取る感性が私達日本人の中にはあるのだと思い、何だか嬉しくなります。そして、自分の心のまま、心の声に従っていきることが最も大切な自然な道であり、茶はその心の声を感じやすくするものではないかと感じました。私の朝は自宅で紅茶、オフィスでコーヒーから始まるのですが、どこかで日本茶を取り入れるのも面白そうです。

茶道にも興味を持ちました。本書を通して、きっと茶道や日本自体に興味をもった欧米人も多かったのではないでしょうか。
(742字)

宗興の本棚

第100週『公教育をイチから考えよう』

第100週
2019/6/30
『公教育をイチから考えよう』
リヒテルズ直子・苫野一徳著 日本評論社

LIFULL社の浜岡さんから紹介頂いた本。公教育は何のためにあるのか、という問いの答えを洗練化する目的で読みました。オランダを中心に海外の教育に詳しいリヒテルズさんと、教育哲学者の苫野一徳さんの共著であり、それぞれの教育論や対談を載せ、公教育の本質に迫っています。

一番大きな収穫は「公教育はなんのためにあるのか」について、より深化した知見をえられたことです。苫野さんは公教育の目的は「自由の相互承認の実質化」であると仰っています。論旨としては、以下になります。

①人には欲望・関心相関性の原理があり、個々の欲望や関心に応じてその意味や価値を表す。個性を生かす教育を好む人もいれば、一斉授業を好む人もいる、絶対に「正しい」「よい」教育は存在せず、欲望・関心から生まれる信念が違うから対立が起こる。

②その上で、「人間的欲望の本質は自由である」とヘーゲルは打ち出した。人間誰しも生きたいように生きたい、自由に生きたいという欲望をもっている。お互いに自由な存在であることを認め合い、そのことをルール(法)として定める。これだけが人類が自由かつ平和に共生できる道である。これを「自由の相互承認」の原理という。

③この原理に基づいた社会を創るには「法・教育・福祉」が必要である。その文脈の教育の目的は、誰しもが自由の相互承認の感度を育み、この社会を自由にいけるために教養=力能を一定以上獲得することとなる。つまり「自由の相互承認の原理」を実質化することに他ならない。

私は、公教育は「誰もがその社会に必要な資質・能力を育む」ことを目的としている、とおいており、各国の社会を前提に考えていました。苫野さんが提示した原理は、更に抽象度を上げ(本質にふみこみ)、人類全体の普遍的な公教育の目的と言えるものだと感じます。日本は明治期に公教育を導入した背景から、「公」に奉仕するための公教育というイメージが強いですが、完全に転倒した考え方と苫野さんは批判しています。

そして、私達が咲心舎や清瀬第二中で行っているビジョンセッションが「自由の相互承認」の原理を実質化するものと感じ、背中を押された気がします。自由であるために、自ら考える力と、互いに自由を認める感度が必要であると苫野さんは仰っていますが、ビジョンセッションはまさに「みんな違ってみんないい」ということを理念にダイアログをするものです。実際の現場では、様々な困難が立ちはだかりますが、一つ一つ克服していきます。
(1021字)

宗興の本棚

第99週『U理論』

第99週
2019/6/22
『U理論』
C・オットー・シャーマー著 英治出版

私達のNPOはライフスキル教育を公教育全体に広め、自分の道を自分で拓ける人を多く育てることを目的に設立しました。この目的を達するには、共に課題を解決する「当事者」を増やす事が必要と常々考えています。今回、本書に「当事者」を増やし社会を変えていくのに必要な知見があるのではと感じ、手に取りました。

本書は500P以上に渡る学術書であり、少しづつ読み進め三ヶ月かけて読了となりました。この壮大な書籍を僅か数百字程度でまとめるのは至難であるため、印象に残っていることを二つのみ記します。

まず第一に、U理論は東洋思想とつながると強く感じました。梵我一如(自分と全ては一体)という考えをもとにする東洋思想は、言葉を含め自分と分け隔てている全てのものを取り払い、自己と森羅万象の一体化を表した思想と私は解釈しています。U理論は、簡潔に伝えると、社会生活を通してインストールされたものから解き放ち「真正な自己」に気づく(Uの左側)。その自己をもとにありたい未来を明確にし、人々と共に創っていく(Uの右側)ための理論です。東洋思想でいう悟りや解脱を可能な限り、科学的に再現性をもたようと理論を構築し、実践法を示したものと言えるかもしれません。また、西洋思想から生まれた資本主義社会へのアンチテーゼとも捉えることができ、MITという影響力の大きな機関発という所からも何か西洋資本主義社会の構造変化の胎動を感じます。

もう一つはU理論の実践法です。筆者は実家の火事に遭遇した際に、真正な自己に気づくことになりますが、私はリーマンショックでありたい自己に気づき、未来が拓かれました。そういった原体験がなくても、真正の自己に辿り着く実践的な方法を本書は伝えています。具体的には対話をしながら共始動、共感知、共プレゼンシングしていきます。プレゼンシングとは自分を通して出現することを望んでいる未来とつながることです。ちなみに共始動を阻むものは、力、所有者意識、お金への欲求(または執着)、つまりエゴであることが殆どだそうです。ただ、一度真正な自己に気づいても、日常の中でアクセスしないと見えなくなるようです。創造性と自己の最上の源にアクセスするのを助けてくれる習慣を、日常で実践している必要があるのです。例えば、早朝の静寂の中で、瞑想や祈りなどを行い、真正の自己は何か、自分がなすべき真の仕事は何か、なんのために自分はここにいるのか、と問うなどです。ここから、私は毎朝オフィスに行き、静寂を活用し毎日自分の状態はどうか、自分の使命は何か、瞑想をしてから仕事をするようになりました。以前よりもエゴに囚われることや、ストレスが減った気がします。

当初の目的に照らすと、このU理論のワークショップを学校の中で行うことが当事者を増やすことになるのだと思います。U理論全ては大掛かりで現実的ではないですが、ダイアログの有効性はここでもまた認識できたため、ダイアログの技術を磨いていきます。
(1225字)